カウンターにコーヒーを置いて、
湯気がふわっと立ちのぼるのを眺めながら、
今日はこんなことを考えている。
仕事をするってことは、お金をもらうってことで。
お金をもらう以上、責任があって、
その対価をお客さんが払っているんだから、
それに見合った商品やサービスを出さなきゃいけない。
だから、ちゃんとやらなきゃいけない。
できれば、完璧でありたい。
……うん、その理屈は、よく分かる。
正論だし、大人として否定しづらい考え方だ。
でもね。
その「ちゃんとしなきゃ」が、
知らないうちに呼吸を浅くしていないかな、と思うことがある。
少しの抜けが許されない気がしたり、
ミスを想像するだけで胸がきゅっとしたり、
毎日がどこか灰色に見えてきたり。
それって、
真面目にやってきた人ほど、起きやすいことなんじゃないだろうか。
確かに、
完璧な商品やサービスは、受け取ると気持ちがいい。
でも人は、それにすぐ慣れてしまう。
慣れてしまうと、今度はそれを「当たり前」にして、
さらにその上を求めるようになる。
完璧を目指すこと自体は、悪いことじゃない。
ただ、完璧だけを基準にした世界って、
ずっと息を詰めていないと立っていられない場所にもなる。
そんなに完璧じゃなくても、いい場面ってあるんじゃないかな。
少し欠けていたって、
それを含めてお互いが納得できるなら、
その方が長く続く関係も、仕事も、ある気がする。
これは、
手を抜こうという話でも、
誠実さを手放そうという話でもない。
むしろ逆で、
ちゃんとやろうとしてきた人が、
自分を追い込みすぎないための話なんだと思う。
それでも多くの人は、真面目だ。
誰が見ていなくても、
「ここ、ちゃんとしとこう」と思ってしまう。
見逃してもいいかもしれないところで、
心に引っかかって、結局やってしまう。
そういうところがある人は、
もう十分、ちゃんとやってきた人だ。
誰が評価しなくても、
あなた自身が、自分の仕事を見ている。
それだけで、もう合格なんじゃないかな。
だから、今日はここで少し立ち止まってみてほしい。
今すぐ何かを変えなくてもいい。
明日から急に楽にならなくてもいい。
ただ、この一杯分だけ。
今日は完璧じゃなくていい。
深呼吸して、
肩の力をほんの少し抜いて、
「まぁ、今日はこれでいいか」と思えたら、それでいい。
「ちゃんとしなきゃいけない毎日」に、
行き詰まりを感じている人がいたら、
この店にそっと置いてある言葉として、
これを残しておきたい。
答えは出さなくていい。
今日はただ、息ができれば、それでいい。
コーヒーが冷めないうちに、
もうひと呼吸していきなよ。